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Web特集

2007年07月09日

シリーズ: ペンキ屋から塗装ビジネスへ

ペンキ屋から塗装ビジネスへ ‐年商3億円への歩み‐(4)

アルカス 真仲一成

第3章 自らが職人になる!

すべてが順調に行っていたのですが、あることがきっかけでブローカーを辞めることになりました。それは現場を任せられる職人の問題でした。 私は以前、大手訪問販売会社のアルバイトをしていた時に、仕事を依頼していた関係で5人の親方の仕事を見てきました。それぞれ過去の経歴やタイプも違いましたが、ブローカーを始めるに当たって、この中から安心そうに見える親方を選び、仕事を依頼することにしました。

しかし、いざ現場に入ると様々な食い違いが起こりました。親方の言っていることと、塗料メーカーが言っていることがあまりにも違うのです。実は親方は塗料をたくさんのシンナーで薄めて使っていたのです。塗料メーカーは「規定通りに入れて下さい」と言いますが、親方に聞くと「こんなもんだよ」としか答えません。私もこれが長年の経験による技術と解釈していました。しかし、時間が経つにつれて、「何かが違う」と思うようになりました。私はお客さんに「よい塗料をよい仕様で使い、よい職人が仕事をします」と、胸を張って営業していましたので、どこか自分が嘘をついているような気がしてなりませんでした。

結果的には、やはりひどい親方でした。何がひどいかと言いますと、裏面を1回塗りだけで仕上げる。余った塗料で調色して、上塗りに使用するなど。もちろん、指定した塗料とは違います。やがては、下からでは確認ができない霧よけの屋根の天場のおいては、ボイル油で拭くのみ。最終的には塗装しなくなったのです。すごいですよね?でも本当なのです。 無免許、無車検の車や二日酔いなど生活面でも問題が見られました。挙句の果てには、「もっと単価を上げろ!工事前に工事金額を払え!」と言われて、とうとうお付き合いをするのをやめました。その他の親方も似たりよったりでした。

その時の私は、もっと良い親方がいることを知る由もありませんでした。塗装業界について関しては、全くの素人でしたし、知り合いもいなかったからです。最終的には、仕事が任せられる職人がいなくなりました。事実上廃業です。いくら契約を取っても仕事ができない状態になりました。契約をとったとしても職人がいないために、どのようにしたら良いか悩みました。 そこで苦肉の策として思いついたのが、"ブローカーではなく、自分で契約して自分で完璧な仕事をしよう"ということでした。小さな塗装店を始めることにしました。今までブローカーとして使っていた屋号ではなく、新たに屋号を付けて活動することにしました。

この新しく立ち上げた塗装店が後に年商3億円まで成長することになります。当時は独立して、塗装店をすることに周囲の冷やかな目もありましたが、自分の信じた道を選択しました。 新しい塗装店では手間を惜しまず、材料を惜しまず、工事をしようと理想に燃えていました。お客さんからも喜ばれ、自分も納得できる一石二鳥のすばらしい仕組みだと思いました。 でも実際は、すべてがスムースに運んだわけではありません。仕事を取ることは元々できていたのですが、施工はまったくのずぶの素人だったからです。

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