Web特集
2007年09月25日
シリーズ: ペンキ屋から塗装ビジネスへ
ペンキ屋から塗装ビジネスへ ‐年商3億円への歩み‐(7)
アルカス 真仲一成
平成8年頃、ある程度自分自身が職人としてやっていけると自信がついたところでアルバイトを雇いました。それから当店は飛躍的に売上を伸ばすことになります。
私が契約を受注して、施工は私と大学生のアルバイトの2人体制です。大体月に3棟くらいコンスタントに受注していましたので、平均受注単価80万円として、月商にすると240万円。材料代30万円、バイト代20万円の計50万円を支払い、車両代や税金などの経費を省くと190万円が残りました。結構な収入でした。
自分で物件を受注し、施工するという形は今考えても理想的な形態です。工事に使える予算にも余裕があったので人工・材料代などに神経質になることなく思い通りの施工をしていました。結果的に塗装品質も良いものができましたし、お客さんとのコミュニケーションも良好でした。また当然、私自身が契約しているので、クレームと言うクレームも起きませんでした。また仕事もお客さんから紹介してもらうなど、面白いように受注できました。
なんといっても収入は魅力でした。経費を引いたすべてが私の収入になりましたので、当時26歳の私の月収は200万円弱にもなっていました。
この時当社の年商は約3,000万円。独立したばかりにしては結構なものだと思います。営業もほとんどが訪問販売で時々チラシをまく程度。しかし、そんな状況も長くは続きませんでした。問題も出てきたのです。
まずはアルバイトの問題がありました。私とアルバイトの2人を要する足場組みや解体作業の調整が大変だったことです。アルバイトは、土日祭日は大学が休みなので良かったのですが、平日は半日出てくるのがやっとという状態でした。都合が合わない時は私1人で足場を組みましたし、解体もしました。
また営業は、雨の日と仕事が終わってからの夕方、また現場が入っている時は休憩時間を返上して10時、12時、15時と近所を廻りました。アルバイトがいた時は、多少現場を途中で抜けることも可能でしたが、1人の時はそうはいきません。たまに施主に材料を取ってきますなど言い訳をして営業していたこともあります。見込み客探しから、見積作成、クロージング、契約、打ち合わせをすべて一人で行っていたので、なかなか大変でした。
また車も軽トラック1台しかなかったので、足場が必要な時は朝にレンタルでトラックを借りて、足場を積んで現場に行き、その後掃除して夕方返却するというようなことを繰り返していました。返却が19時までと決まっていましたので、とにかく早く足場を組むことが最優先でした。洗浄機もレンタルで借りていました。
また常に仕事を確保することの難しさが出てきました。仕事がなくなりそうになったときは「夜訪」と言われる、夜ピンポンもしました。最初の頃は、面白いように契約も取れていたのですが、時代の流れからだんだん訪問営業に対して厳しくなり、アポ率や成約率は下がり、受注するのが難しくなったのです。
ついに営業兼職人としての限界を感じるようになっていました。思うように行かなくなり、そろそろ潮時かなと考えるようになりました。さらに大学生のアルバイトが就職を機に辞めたことは決定的でした。1人ではどうしようもありません。これから営業に専念するか、職人として専念するか選択が迫られました。
試行錯誤の結果、仕事を任せられる良い職人を探すことは難しいと結局職人として歩むことを決めました。お金には余裕がありましたので多少お金になればいいという考えで、下請け塗装店として再スタートを切ったのです。
「給料が減っても良い仕事をしたい」というのはかっこよく聞こえますが、本音のところお金があることで仕事に対する情熱が失いかけていたのです。当時は、言い訳が欲しくて下請けへと転換したのです。