Web特集
2008年01月21日
シリーズ: ペンキ屋から塗装ビジネスへ
ペンキ屋から塗装ビジネスへ ‐年商3億円への歩み‐(13)
アルカス 真仲一成
年商を上げるために、さらに職人の確保を積極的に行いました。月15件をこなすために10人に増やします。下請けとして工事を取るのは、得意でしたのでこちらはあまり気にしませんでしたが、職人の確保は難しいと感じていました。塗装職人の友達にはやはり塗装職人が多くいるので友達から友達へと「笑っていいとも!!」みたいに紹介に継ぐ紹介で探しました。職人の定着率も次第に悪くなってきましたので、随時募集と言う形になりました。職人はわがままですから、1ヶ月前に辞めますと言ってくれれば良いのですが、大概が月末になって今月でやめますと言ってくるパターンが多いです。
職人を集めるため一生懸命になっていましたが、仲の良い職人が辞めるとその友達も辞めることが多々あります。そうなると面倒です。一気に2、3人辞められることもざらでした。当時の私は、こいつらダメな奴だとか馬鹿だ、あほだと思っていましたが、今思えば、もっと大人の対応をしておけばとも思います。終身雇用ではないのですから、辞めてもっと条件が良い所にいくのは当然です。気の会う親方の方が居心地が良いのも当然です。実際当時の私は、「職人は将棋で言う駒」だと思っていましたから・・・。去って行くのは当然です。いつかは歩も金になると思っていましたし、捨て駒と言う概念も持っていましたから最低ですね。
この時には、このまま「下請けだとやばいかなぁ」と感じて営業を入れることになりました。月15万円の固定給にプラス歩合、そして自動車を与えてやりました。結果は当然うまくいきませんでした。契約件数0件、半年で辞めてもらいました。自分の経験から簡単に契約が取れて当り前だろうと思っていた自分が馬鹿でした。楽して儲けようとした自分のバチだったかもしれません。
年商5,000万円の時は、自分の軽トラに2連はしごや調色セットを積んでいつでもクレーム処理を可能にしていましたが、このときから職人に手直しさせることにしました。自分の不始末は自分で処理。うまくいくかと思いやらせて見ましたが結局うまくいきませんでした。職人は自分の人工にはまったく関係がなかったからです。手直しに行くのが返って良いことになったのです。一度クレーム処理に向かってしまえば、時間調整することが出来るからです。ちょっとの手直しで半人工は、会社としては結構厳しい問題でした。結局1人がほとんど専属で手直しに廻るようになりました。
本当は、自分が今まで通りやっていればよかったのですが、現場に行くことが面倒になってきていました。そしてお金にも余裕があることから、色々遊ぶことを覚えてしまいました。仕事もある程度行えば、現場に行くこともありません。そうかといって勉強することもなく、時間さえ余っていれば、当然遊びますよね?しかも、お金もありましたし・・・。
当時の売上の内容は、1棟約45万円で月15棟こなし、月商675万円、年商にして8,100万円です。経費は1棟当たり材料費10万円、人工21万6,000円、諸経費5万円かかるため、1件分の収入は8万4,000円、月収126万0000円、年収にして1,512万円になりました。(大体で計算しています。正確な数値ではありません。あくまでも目安になります。)
ようやく現場にも出ることはなくなり、そして現場管理というより職人の管理、そしてお金の管理が主な仕事になりました。職人はいなくなれば補充する。お金が入金されなければ取り立てに行く。そんな感じでした。仕事も口コミで勝手に来るようになりました。当然変な元請けからも声がかかり、回収不能になる可能性もありました。
しかし、たくさんの回収をこの時点で経験していましたので、心配はしていませんでした。取れなければどんな手段を使っても取ると言う自信がありました。おかげで、未回収になることはありませんでした。でも、取立てに行く事に対しての精神的な痛みはありました。これが積み重なるとどんどん人が悪くなるような気がします。時には、財布から有り金すべて抜き出したり、車を持ってきたりすることもしました。
年収も見かけでは1,500万円ありますが、この中から契約の取れなかった営業の給料、車両代、それに伴う経費を計算すれば、収入は1,200万円くらいにはなったかと思います。この時に営業を雇わず、きちんと仕事に徹していればこんな結果にならなかったでしょう。でも、その時にはさらに売上を上げようとしていました。この時まだ20代です。年収1,000万円以上でお金ありし時間もあれば当然生活は派手になります。毎日飲み歩き午前様。車も高級車。800万円の車も現金で購入して、ブイブイ走り回っていました。素行の悪い人たちとも仲良くなり、今思えば恥ずかしい限りです。
塗装工事店以外にも手を出すようになります。全部で3件のスナックを友達と共同でやりました。どれも、あまりうまくいきませんでした。やはり、共同と言うのと、畑が違う事が一番の原因です。しかも、夜の仕事なので、1日の時間配分が大分おかしくなってしまいました。結局、スナックは2年くらいやりました。周りを見渡すとやはり、年商5,000万円から7,000万円くらいの会社がサイドビジネスとして何かしら手を出すタイミングだと思います。私は、スナックでしたが居酒屋などが結構人気の高いサイドビジネスです。みんながみんな失敗していますが・・・。
この時期になると、他にも何かできるのでは?と、思いやすくなると思います。今の私が当時の自分にアドバイスするのであれば、やめなさい!!と言うでしょう。でも、当時の私は聴く耳を持たないでしょう。どのような結果になろうと、すべては血となり肉となりますからどのような事もプラスになります。しかし、何もわざわざいばらの道に進まなくてもと思います。
まだ、サイドビジネスに手を出していない人は、手を出すのを止めた方が良いかと思います。それよりも、大好きな塗装工事店をぴかぴかにすることをお勧めします。
この時期の特徴としては、職人も現場もある程度手放しでも対応できることです。ここに落とし穴がありますので注意してください。多くの人はここで失速し、仕舞いには墜落してしまいます。つまり倒産を意味します。入金出金というように移動するお金が多くなります。そして、自分自身があまり行動しなくてもある程度進んでしまう規模です。しかも、サイドビジネスに手を出しやすいです。
この規模を経験すると親方として現場に入るかそれとも、監督として社長として会社を見ていくか?の選択が迫られる規模です。実際に行うことは年商5,000万円の時とはあまり差は少ないと感じます。人を何人見れるか?回収をきちんとできるかがポイントになります。
無理して、年商7,000万円にするのでしたら年商5,000万円に落として経営することをお勧めします。それは、精神的なストレスの違いになります。無駄なことせずきちんと管理できれば年収1,500万円ですから、悪くない年商規模だと思います。