Web特集
2010年06月09日
シリーズ: 塗るということの規範
塗るということの規範(4) 中嶋徹
先の文脈で「工業用塗料は、保護的なことも審美的な役割も両方備えている...」と説かれ、機能的にもその役割が語られています。しかし、機能性に傾斜したスタンスの結果、「coating」のステージで語られることになり、本来「painting」の意味である「塗るということ」が置き去りにされた状況があります。
機能論的に「美装機能」が語られてはいますが、そのほとんどが意味するところは「汚れた壁が塗料で塗り替えるときれい(清浄)になります」という訴求以上のものではありません。そしてこのことが「decorate」として見たときに「壁紙を貼ること」に対し「ペンキを塗ること」が市場価格だけではなく、太刀打ちできない理由となっていると言えます。
それは「decorate」の「清浄」「魅力」「感動」を見据えたとき、「魅力」と「感動」に欠けるということを示しています。いわゆる機能主義的な限界です。それが「coating」に傾斜した塗料や塗装の状況とも言えます。まさに「魅力」と「感動」こそが「aesthetic」(審美的な)領域であると言うことができます。
「decorate」の「清浄」「魅力」「感動」という「稔り」について考えると、絵画的な意味での「描く‐塗る(paint)」という本来的な「塗るということ」の言葉をたどることになります。ここで改めて審美的な領域を、保護的な領域から解き放って図式化してみます。
「painting」についての規範:to decorate動機(素材)‐媒体性‐表現[構想力]
わたしたちがここまでたどり着いたのは、流布され続けてきた機能論的な塗料論やそれに取り込まれた塗装の話ではありません。新たな「塗るということ」のカテゴリーを考えてみることです。そしてそれをひとつの「規範」として訴求しよういう試みは「塗る(描く)という行為」が人間にとって固有の行為であったし、それが長い時間の中でひとつの「文化」であったからです。
もはや規範的な話の展開などは、細分化され高分子化された塗料や塗装の繁栄のステージではひと昔もふた昔も前の戯言かもしれません。そんなモダニズムを走りきった産業の陰で「文化」は置き去りにされてしまったと言えます。しかし生産者や消費者という市場主義的な位相ではなく、生活者という位相で新たな座標軸を設えてみるならば、置き去りにした過去を検証するのも意味のないことではありません。
新たなカテゴリー構築に向けて
建築の工法には乾式工法と湿式工法と呼ばれるものがあります。乾式工法は工場で製品化された(仕上がった)壁装材などを現場で取り付けたり貼り付けたりする施工方法を言います。アメリカから移入された「ドライ・ウォール工法」も石膏ボードを用いた乾式壁の大壁工法です。(つづく) ※執筆2007年
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