3ヶ月に及ぶ長い憂鬱からようやく開放された。事が起こったのは、2009年1月1日、午後9時半ごろ。京都にある妻方の親戚宅で団欒した後、酒を飲んだ義父に代わって私が車を運転していたのだが、大阪にある妻の実家へ向かって国道を走っていた時に突然目の前を赤いフラッシュが光った。すぐさま、車のスピードメーターを確認。スピードを出しすぎてオービス(自動速度取締り機)に引っかかったてしまったと気づいた。


これからどうなるのか。罰金はどれくらいになるのか。せっかく来月(2月)からゴールド免許になるのに。もしかしたら見逃してくれるのではないかと甘い期待も抱きつつ、時を過ごしていると1月中旬に義父から「残念やけど警察から連絡きたで」との電話。車の所有者である義父を通じて「所有者が運転者でないなら、当時の運転者を指定の日に出頭させるように」との通知が届く。やはり見逃してはくれなかった。さすが、警察。ぬかりない。


"運転者"である私が東京に住んでいるため京都の警察まで出頭できない旨を伝えると、自宅近くの警察署で処理してくれるとのこと。電話口の警察官の対応は、非常に丁寧だった。
それから1ヶ月以上たった2月上旬に最寄りの警察署に呼ばれ、お互いの日程を調整して面会。ここでオービスに捉えられた私の顔写真を始めて見せられ、35kmのスピード超過を指摘される。映っている写真は間違いなく自分だ。ちょうど手であごの当たりを触っている写真だったが、「もう少し上だったら、顔が分からなかったのに」と私も往生際が悪い。


でも本人であること、スピード違反をしたことを逃れる術もなく、素直に認め、違反当時の状況をこと細かに聞かれる。担当の警察官は私の話す言葉に従い、供述調書と書かれた用紙に文字を刻んでいった。個室や手錠こそなかったが、"出頭""供述"などの言葉が目の前に並ぶと否が応でも自分が犯罪者(違反者)であることを思い知らされる。最後に警察官は供述調書を読み上げ、私は押印し、陥落した。


ただそれで処分や罰金が明らかになるわけではなかった。手続上、東京の警察署で取った供述調書は再び、京都の警察署に送付されてから処分が決まるようで「1ヶ月程した後、また警察から通知が送られてきます」とのこと。スピード違反ごときを3ヶ月もかかって処理するとは、ジリジリと真綿で首を絞めるよう。どれほどの処分が課せられるのか。なかなか楽にさせてくれない。


その後、3月中旬に家に「行政処分通知」なるものが自宅に届き、指定の日に運転免許試験場に来るようにとの指示が来る。届いたハガキには、違反点数6点、30日の免許停止の文字。
この後私は、試験場で徹底的に交通違反教育を受けることになる。続きは次回に。