プロローグ 父の死、事業継承を決断

「葬儀が終わるまでの1週間で、会社を継ぐか否かを判断しなさい」。
私が家業である鈑金塗装工場の仕事を継いだのは、1997年9月のことです。父の仕事を継ぐ意思が全くなかった私は当時21歳の大学4年生。税理士を志し、大学に行きながら税理士の専門学校に通っていました。初めての税理士試験をその年の8月に終え、学生生活最後の夏休みをどう遊び倒そうかと、試験が終わった解放感にあふれながら、実家に帰省しました。
ところが、母から「お父さんの調子が良くない」と聞かされ、生まれて初めて、工場の手伝いをすることになりました。そして1週間後、明らかに顔色が悪く苦しそうな父をみかねて病院まで連れて行くことになります。近所の町医者の診断ではパッと見で「1カ月はもたないでしょう...」とのこと。慌ててすぐに大学病院へ入院しましたが、その2週間後に亡くなりました。父と私が一緒に仕事をしたのは、後にも先にもこの1週間だけでした。


私の人生最大の転機です。家業を継ぐことなど微塵も考えていない大学生が夏休みに帰省して、わずか3週間後に大黒柱である父が亡くなったわけです。その時、母から言い渡されたのは、「長男なんだから葬儀が終わるまでの1週間で、会社を継ぐか否かを判断しなさい」という冒頭の言葉でした。
結局、判断できないまま父の葬儀。そこで近隣の方々、多数のお客様、同業者や取引先の方々を含む2,000人に及ぶ参列者の方々が、心から悲しむ姿を目の当たりにしました。今まで知らなかった父や会社に対する「社会的評価」に初めて触れた瞬間でした。
「親父の仕事は必要とされている仕事なんだ。親父はみんなから必要とされている人間だったんだ、この工場を一代でなくしてはならない」。
そのような経緯で、私は父の仕事を継ぐことを決心し経営者となりました。

"オウンゴール"の歴史を変える

「親父の仕事は絶対に継がない」。私は幼いころからずっとそう思っていました。汚い工場でツナギがユニフォーム。常に手は塗料で汚れ、その姿でそのまま飲みに行く親父。自家用車は決まってバン、休みの少ない家族、なんとなく苦労しているお袋。
東京目黒という土地柄もあり、周りは、スーツを着て仕事をする経営者やサラリーマンの家庭が多く、私はごく普通の生活を与えられてはいたものの、父の仕事に何となく引け目を感じていました。


しかし、実際に事業を継いで仕事をしてみると、高い技術や深い知識を要求される業界、職人さん達の強い想いが詰まった業界であることに気づかされました。一職業として、本来は社会から評価されるべき業界だと。工場を引き継いで15年が経ち、今更ながら、父の仕事に引け目を感じていたことを後悔しています。だからこそ私は自分が少年だった頃の感情を、我が業界の未来を支える後継者や若い職人たち、職人の子供たちに感じてほしくない。「強い想いと卓越した技術」を持つ鈑金塗装工場の経営者や職人の皆様が、社会で、地域で、そして仲間や家族からも適正な評価を頂ける。そんな業界にしていきたいと強く思っています。


「我が業界の歴史はオウンゴールの歴史である」。私が業界で慕い尊敬する先輩の言葉です。
鈑金塗装という特殊で高度な技術を持った先人が業界を作り上げ、職人技を成熟させ、素晴らしい土台を作ってこられたことは確かです。私たち「技術職」にとっては、そこは欠かせない最も重要な要素です。
しかし一方で、財務管理や経営戦略、サービス業としての取組み、後継者育成や将来ビジョンの共有など、他業界が普通に取り組んでいることができていない。高い技術スキルをもっていながらも「会社経営」という面で「自分で自分の首を絞めている」という業界の現状があります。
鈑金塗装工場を経営することになってから15年。ここまで来るには紆余曲折あり、苦労も絶えませんでしたが、ようやく私には自社工場の将来が見通せるようになってきました。


そこで、私と同じ仕事に携わる皆様のお役に立ちたい。この連載を通じ、私たちが経験したこと、実践してきたことに触れていただき、「前向きな行動のお手伝い」になればと思い、連載をお引き受けしました。
自社を改善し、職人さんがイキイキ働くことのできる環境を作り、それぞれの家族を守り、生活を豊かにしていく。社会的な評価を高めていくのは他の誰でもありません。皆様ご自身です。
これからはオウンゴールではなく、自らキックオフをしてパスをしてドリブルをして、「社会的評価や」「経済的自立」という相手ゴールにシュートができる、そんな業界づくりの一助になればと願っています。


今号から伊倉鈑金塗装工業の伊倉大介社長による『実践ボディショップマネージメント』の連載を全12回の予定でスタートします。同氏はインターネットを用いた直接受注、社員の社長登用も含めた社内組織づくりなど、時代を生き抜く新たなBP業の在り方を追求しています。更に昨年11月には鈑金塗装の技術を絶やしてはならないと、ボディショップ支援会社「アドガレージ」を設立。業界の社会的地位向上に向け、これまでに培った集客及び経営ノウハウの提供も推進しています。今後の連載にご期待ください。(編集部)

プロフィール: 
伊倉大介氏(いくら・だいすけ)。1976年生まれ。東京都目黒区出身。
1997年伊倉鈑金塗装工業代表取締役に就任。2003年コーティング事業開始。2007年オークション代行業務開始。2008年廃車受付業務、レンタカー業務開始。2011年BP経営支援会社「アドガレージ」設立、代表取締役に就任。
2012年1月現在、社員10名、修理工場8人体制。