リトアニアの地で平和を願う
杉原千畝記念館を塗り替え

塗魂ペインターズは、9月3日から10日までの8日間、リトアニア共和国・カウナス市を訪れ、杉原千畝記念館の塗り替えを行った。同記念館の大規模修繕に同会が支援を申し出たことで塗装ボランティアが実現。日本からメンバー40人と家族を含めた計60名が参加し、杉原千畝記念館に込められた歴史に触れた。


今回、同会が塗装ボランティアを行なった杉原千畝記念館は、第2次世界大戦中、在リトアニア日本領事館として使用されていた建物。当時、外交官の杉原千畝がナチス弾圧を逃れようと国外脱出を求めるユダヤ人に対して、戦火が及ぶ寸前までビザを発給し、多くの命を救ったことから「命のビザ」として語り継がれている。現在はリトアニアのスギハラ財団が運営・管理し、執務室など当時の状態で保存、世界中から観光客が訪れている。

しかし木造3階建ての一軒家は、築約80年が経過し、老朽化が深刻な状況に。修繕の必要に迫られていた状況を記事で目にした同会が支援に名乗りをあげた。幸い、2015年のハワイボランティアの実現に寄与した重枝豊英大使がリトアニアに赴任していた縁も手伝って、財団やカウナス市の承諾を得、屋根修復に要する修繕費用の一部支援と塗装を同会が引き受けることが決まった。修繕費用はクラウドファンディングを活用した。

こうした日本と浅からぬ関係にあるとはいえ、1人30~40万円の渡航滞在費をかけ、1週間以上会社を離れることも辞さない彼らを駆り立てるものは何なのか。同会の海外ボランティアを担う塗魂インターナショナルの安田啓一会長は「ペイントには"蘇生"という意味があります。塗装によって建物を当時の状態に再生することによって、多くの命を救おうとした杉原千畝の想いや忘れてはならない歴史を蘇らせることができます。塗装を通じて平和を願う我々にとっても、歴史ある建物に関わらせて頂くことは得難い経験」と参加の意義について語った。

「我々だけではできなかった」

安田氏は「今回のボランティアは我々だけでは到底成し得なかった。多くの方々の協力と支えがありました」と影の功労者の存在を強調する。過去、国内86回、海外2回に及ぶ塗装ボランティアを行ってきた同会だが、世界記憶遺産にも申請している歴史建造物を塗るのは初めて。これまでと異なる状況に混乱もあった。

特に課題となったのが、塗料の調達。副資材は日本から送ったが、塗料の国内輸送が困難な中、ドイツ・クライデツァイト社の日本代理店として自然塗料の販売を主力にするプラネットジャパンの平尾和眞社長がプロジェクトの話を受け、塗料の無償提供に賛同。ドイツ本社の協力も取り付け、ドイツからの材料供給を段取りした。

更に労力を要したのが使用塗料の選定。杉原記念館のような文化遺産の工事には、使用塗料を含めてリトアニア文化遺産局の許可を要することが判明。事態を知った平尾氏は、リトアニアの首都ヴィルニュスにあるクライデツァイト社の代理店に協力を求め、当局、カウナス市などの関係者との度重なる協議を経て、使用塗料が決まった。「平尾社長はじめ我々の力の及ばないところでたくさんの尽力を頂きました」と感謝の意を述べる。出国1カ月前のことだったという。

混乱は施工現場でも続いた。採用された塗料は、石灰などの無機粉末と水ガラス溶液を現場調合する水ガラス塗料(クライデツァイト社)。歴史的建造物で豊富な実績を持つが、日本では馴染みが少なく多くが施工未経験。混合、撹拌してから30分の放置を必要とし、ローラー塗装は不可で刷毛塗りのみ。刷毛も仕様に従い、ラスター刷毛を即席で2本束ね、毛束に厚みを持たせるなど材料、工程とも自由に任されていた従来のボランティアとは全く異なった。更に刷毛目の均一性と継ぎ目が出ないように施工チーム15人が等間隔に位置し、速度を合わせて塗装するなど、終始緊張感を強いられる現場となったが、無事工期内で予定の500㎡の塗装を終えた。

安田氏は「当会は社会貢献を目的に集まった塗装施工集団だが、塗装ボランティアを通じ、出会うことのできない人に出会い、知らない社会の現状や歴史に触れることで、メンバーの経営感度に相当な影響を与えている。小さな思いから社会を変えられることをこれからも体現していきたい」と話す。

社会的関心度の高さと不慣れな海外活動で新たな試練に直面した今回のボランティアだったが、最後は積み重ねてきたメンバー相互の信頼関係が成功に導いた。



ドローンで杉原千畝記念館を撮影(写真・上林塗装)
ドローンで杉原千畝記念館を撮影(写真・上林塗装)
等間隔で慎重に塗装する施工チーム(写真・安田塗装)
等間隔で慎重に塗装する施工チーム(写真・安田塗装)

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