2022年10月、一般社団法人日本塗装技術協会(以下JCOT)内に自動車メーカー8社(トヨタ自動車、日産自動車、本田技研工業、マツダ、三菱自動車、スズキ、SUBARU、ダイハツ工業)からなる自動車塗装CN研究会が発足した。カーボンニュートラル実現に向けた研究に注目が集まる中、かつて関西ペイントで塗料の研究に従事した奴間氏は「塗料の需要家が協調して塗装のCNに対する革新的技術の共同研究に取り組むことを重く受け止める必要がある」と強調する。塗料研究者として52年のキャリアを持つ奴間氏に研究開発の重要性と将来性について聞いた。
――2022年に自動車メーカー8社による自動車塗装CN研究会(以下、CN研)が発足しました。カーボンニュートラル(CN)達成に向けた革新的技術の共同研究に協調して取り組むことに関心が集まっています。JCOTの代表として参加している奴間さんはこの取り組みをどう見ていますか。
「自動車メーカー8社が将来を見据えてタッグを組んだことは大変素晴らしいことだと感動しています」
――本来であれば、個々の会社で取り組むべき課題のような気がします。
「あくまでも協調して革新的技術の共同研究に取り組む研究会であり、開発段階においては各々個社で取り組むものとして明確に定義しています。注目すべき点は、CN達成という緊急かつ重要必達課題を1社だけで取り組むのではなく、同業各社がベクトルを統一して協調して取り組むべき課題と判断したことです。求める技術は従来の延長線上にある改良型技術ではなく、ゼロからイチを生むような革新的技術である点が非常に画期的です」
――それを"フロンティア領域の革新的技術の共同研究"と表現しているわけですね。
「フロンティア領域を分かりやすく言えば、今の発想・概念を超えた技術と言えるでしょうか。元々研究者に通底しているマインドではありますが、需要家からこうしたニーズが出てきたことをサプライヤー側も真摯に受け止める必要があると思います」
――それだけ新規技術が嘱望されているということですね。
「そうです。CN研では、塗料原料である樹脂や更にその上流にあるモノマー、硬化剤、触媒を扱うメーカー、塗装機器、塗装設備メーカーなどにも働きかけ、新しい提案を引き出したいと考えています」
――塗料の需要家が革新的技術研究の領域まで感度を高めている点が興味深いです。
「CN達成は、現行技術の改良を続けるだけではたどりつけないという考え、また危機感が背景にあります。それがアイデアを含め、フロンティア塗装技術の源流を探索するモチベーションにつながっています」
――フロンティア領域とはどういうものでしょうか。
「そうですね。いきなり原材料メーカーや塗料メーカーにフロンティア技術を求めても答え方が難しいでしょうね。明確に言えるのは、現行の技術から派生した改良技術を求めているわけではないということです。CNを達成した2030年、2035年、2050年のあるべき姿を明確に描き、これを実現するための革新技術がフロンティア技術であると私自身は考えています」
――塗装まで関与していくことになるのでしょうか
「CN研には4つのワーキンググループがあります。①低温化②ブースレス③エネルギー置換④CFP:カーボンフットプリントの4つです。塗装技術、塗装工程は当然研究対象となっています。ただ、実用化のためにはコストは大変重要な指標になります。今のコストをはるかに上回る技術ではいくらフロンティア性を有していたとしても実用化には至りませんからね」
――海外には研究協業の取り組みはありますか。
「ヨーロッパでは、学術研究を主とするフラウンホーファー研究機構(ドイツ)がかつて粉体塗料の実用化に関する基礎研究を自動車メーカー、塗料メーカー等と共同で進めていた時期がありました。あと共同研究ではありませんが、FATIPEC(ヨーロッパ大陸塗料・インキ技術連合)、欧州の2つの自動車塗装技術国際会議(SurCar、Berlin会議)などオープンな研究発表の場があります。日本の塗料メーカー、自動車メーカー、化学メーカーも参加していますが、欧米の原材料メーカー、塗料メーカー、塗装機器・設備メーカーが圧倒的に多いですね。日本のメーカー各社もこのような国際会議の場で大いに存在感を示してほしいと願っています」
――日本のR&Dの行く末をどう見ていますか。
「かつてと比べて規模、存在感が縮小しているのではないかと危惧しています。メーカーとして成長し続けるためにはR&D部門の役割が非常に重要です。研究者の立場としてはR&D部門の地位向上は切なる願いです。もちろんR&D部門で働く研究者は経営陣、ひいては市場、社会が納得、感心するような成果を出し続けていく努力を重ねなければなりません」
R&Dから活力を
――今回、自動車8社からサプライヤーに対しフロンティア研究の重要性を指摘されたわけですが、研究者として塗料業界に長く従事している奴間さんの現役時代はいかがでしたか。
「私の現役の頃をお話しすると、フロンティア研究を目指してはいましたが、実際は改良に近い研究が少なくなかったというのが正直なところです。いくら理想的な研究テーマを掲げても成果を出せていなければ社内を説得することはできません。成果を早く出せる改良的研究と長期的な検討が必要な革新的テーマを同時に進めるというスタンスでした」
――現実との折り合いも必要ですね。自身が手掛けた研究でフロンティアに類する技術はありますか。
「フロンティア技術とは言えないかもしれませんが、1970年代に2液ウレタン硬化自動車補修塗料用のベースコートとクリヤーコート用の樹脂の研究~開発~実用展開を担当しました。半世紀近く経過した現在も多くのお客様に使われている製品であることを鑑みると、それなりにしっかりとした技術だったと思っています」
――どんなところに新規性を持たせたのですか。
「分子量やSP(溶解性パラメーター)の制御はもちろん、硬化反応性の制御など複数技術を組み合わせました。ウエットオンウエットで2層に塗った際に上の層が早く乾けば下からの溶剤が出られなくなり、硬化性、仕上がり性も低下します。それを防ぐため下層から順番に硬化させるための反応制御が求められます。また被塗物も水平面だけでなく垂直面もありますので、垂れないようにするため2層のSPの調整だけでなく、タレ防止のためのレオロジー(物質の流動と変形)コントロールも制御しました。組成としては、以前から使われていた材料をベースにしており、製品自体に一見大きな革新性はありませんが、化学的な制御と物理的な制御を組み合わせた考え方が当時としては斬新だったと思います」
――考え方やアプローチにフロンティアの要素があるということですね。
「他にも溶剤可溶形のふっ素樹脂を分散安定剤として用い、アクリル樹脂をコアとしたNAD(非水分散ディスパージョン)の研究~開発~実用展開も思い出深い経験です。世の中に存在しない技術を生み出すことは研究者の醍醐味です。R&D部門で働く皆さんにエールを送り続けます」
――奴間さんが長く研究に携わる上で支えになったものはありましたか。
「私のモチベーションは学生の頃に水俣病や四日市ぜんそくなどの公害問題に触れ、化学で世の中の役に立ちたいという強い思いです。その思いは後期高齢現役技術者の今も変わりません。ただ職場においては、やはり心ある上司の言葉に随分助けられました。『君は仕事を楽しんで頑張っているね』と言われたり、担当したある製品が完成した時に『魔法使いのようだな』と言われた時は嬉しかったですね。それまで幾度か会社を辞めようと思った時期もありましたが、心ある上司の存在は大きな支えになりました」
――月並みですがやはりコミュニケーションが重要ということですね。
「そうですね。コミュニケーションでは少し広義になることから私は現状をしっかり把握した心のこもったグッドディスカッションと言っています。社内や社外においても実りあるグッドディスカッションが必要だと思います」
――業界各社のR&D部門に対する位置づけも気になるところです。
「塗料業界に限ったことではありませんが、R&D部門の縮小化が至るところで見受けられます。半導体や太陽電池の基礎研究なども最たるものではないでしょうか。日本発の技術にも関わらず、今や中国、韓国にお株を奪われました。その要因の1つに基礎研究部門に対する軽視があると思います」
――再び、技術から活力を高める方策はあるでしょうか。CNに限らず、脱化石原料や法令対応など塗料開発における課題は山積しています。
「このあたりは原材料メーカーとの協調、共同研究が不可欠ですが、少しずつ植物由来の樹脂や材料が形を見せてきました。今のところ市場性やコストが障壁となり、顕在化した需要にはなっていませんが、我々塗料サプライヤーが本気になって普及に努めれば状況は変わってくると思います」
――どういうことでしょうか。
「化学品全体における塗料需要は、わずか3~4%とニッチな産業です。そのため新規化学原料の普及においても量的な貢献は限界があります。しかし、塗料には建築物、自動車から諸工業品、電子部品、家具、身近なスマートフォンなど、それこそものづくり全般をカバーする広範な需要領域があります。つまり、あらゆる産業に新規技術を提案し得るポジションを大いに活用すべきだと考えます。自動車塗装に関するフロンティア技術は、自動車分野に限らず、いずれ他の産業分野でも要望されるでしょう。塗料・塗装が社会的存在価値を発揮する上でも新規提案はより重要になると思います」
――最後に研究者に対してエールをお願いします。
「10年以上前になりますが、日本塗料工業会の常務理事時代に産業別の社歴を調べたところ、国内メーカー全体の社歴が平均45年だったのに対し、塗料メーカーは70年でした。塗料メーカーの社歴が群を抜いていました。これは海外も同様の傾向を示しています。更に興味深いのは中小企業の社歴が長いということです。中小メーカーの中には、歳月をかけて粘り強く研究・開発に挑む会社もあります。会社の規模を問わず、独自の技術で社会に貢献できる産業であることに誇りを持ってほしいと思います」
――ありがとうございました。