東京タワーが育む塗装職人

1958年の竣工以来、ほぼ5年周期で塗り替え工事が行われてきた東京タワー。昨年の夏に終了した11回目の塗り替えで初めて塗装仕様が変更し、5年から7年に周期が延びた。東京タワーの塗り替えを担っている平岩塗装(東京都大田区、平岩敏史社長)をその話題で訪ねたところ、タワーの塗装にまつわる興味深い話が満載。建設から60年が過ぎてなお人々を惹きつける雄姿の裏には"塗装の力"があった。


昨年の夏に終了した11回目の塗り替え工事で、それまでのフタル酸樹脂塗料からアルキド樹脂塗料へと塗装仕様(中、上塗り)が変更された。「環境負荷やLCCの低減など塗り替え周期の長期化が(東京)タワーさんの課題になる中で塗装仕様の変更を検討。(塗料供給元の)関西ペイントさんと協議し、いろいろな塗料を試す中でアルキド樹脂塗料に決まりました。それにより、これまでの5年から7年に塗り替え周期が延長されました」と説明する平岩敏史社長。

近年ではフッ素樹脂などより耐久性の高い塗料、また環境面では水系塗料も普及しているが、「既存塗膜との適合性とともに、過酷な作業状況を強いられるタワーでは塗りやすさや作業性が最優先されます。ダレやすくないか、被りはいいか、混合の手間や可使時間など、耐久・耐候性と作業性とのバランスを総合的に検証してアルキド樹脂塗料に決まりました」と東京タワーゆえの制約条件がある。

ただし、「以前のフタル酸樹脂塗料でも本来は5年以上もつはずですが、それより短い周期で塗り替えていたのはタワーさんの姿勢の表れ」と平岩社長。

電波塔であると同時に多くの人が訪れる観光施設でもあり、首都東京のシンボリックな建物でもある。その自負から『鉄は、錆びさせてはいけない』と美観の維持を徹底、それが短い塗り替え周期につながっていた。何度も塗り重ねたことで宿す風格やノスタルジックな趣が、単に見た目の美しさを超えて人々を魅了。60年を超えてなお色褪せない存在感は、社会資本の維持保全の1つの在り方を示している。7年周期のアルキド樹脂塗料にシフトしても、その魅力は変わらない。

東京タワー、塗装の実態とは

今回、変更された塗装スペックの取材で同社を訪問したが、東京タワーの塗り替えにまつわる話は興味深い話題で満載。そのいくつかをダイジェストで紹介したい。

【足場・養生】

東京タワーの塗り替え工事は竹中工務店が元請となり、足場は宮地エンジニアリング、塗装は平岩塗装が主に担ってきた。「電波塔という性質上、電波に影響する金属の足場は使えず、以前は丸太を塔体に緊結して使用していました」と平岩社長。耐久性や軽さなどから現在はFRP製のパイプを使用しているとのことだが、「問題は塔体のいちばん大外の垂直の部分」と続ける。

水平の鉄骨同士でパイプを渡せる塔体の内側は吊り足場などを設置できるが、パイプを渡せない大外の垂直部分は「上から垂らした安全ブロックに安全帯のフックを掛けて、FRPパイプ1本の上で作業」と、正に東京タワーならではの作業風景が広がる。「職人は絶対口には出しませんが、やはり怖いと思う。ただ、一時も油断のできないその緊張感が事故の防止にもつながります」とある意味、究極の安全対策になっているのかもしれない。

次に養生。鉄骨などで水平の箇所を確保できる塔体の内側は養生シートを掛けて落下物などを防止できる。

ここでも難題は大外の養生だ。物理的に養生ができない塔体の外側の作業では塗料が飛散する確率が高い。このため、落下して建物や車についた塗料をすぐに拭き取るための地上部隊を配置。「この期間、地上部隊として学生アルバイトを雇い、彼らにシンナーとウエスを持たせて周辺をパトロールしてもらっています。原始的なやり方ですが、これまでに大きなトラブルもなく一番適した方法かもしれませんね」と、長年の経験で地上部隊のノウハウも蓄積されてきた。

【作業】

塗装する箇所は既存塗装面のすべてで、面積は約8万㎡にも及び工期は1年、従事する職人の延べ人数も数千人という規模だ。この間、東京タワーの営業が終了した深夜から明け方までの夜間作業が続き、体力的にもきつい。

塗装工程は3種ケレンで劣化塗膜の除去や発錆部を除錆。その後変性エポキシ樹脂塗料で下塗りし、今回から仕様が変わったアルキド樹脂塗料で中塗りと上塗りを施す。「既定の膜厚を確保できているか、ウェットとドライの両方で膜厚測定をする」といった流れだ。

塗装作業自体は刷毛で行われる。平岩社長によると、「以前は片手に刷毛、もう一方の手にサゲツ(下げ缶)を持って作業をしていましたが、前回(10回目)の塗り替えから使用し始めた"背負い式タンク"のおかげで、作業が随分楽になったし安全性も高まりました」と専用装置の話題に触れる。

この背負い式タンクは関西ペイントとの共同開発によるもので、背中に背負ったタンクからノズルを通って刷毛先に塗料が圧送されてくるというもの。「材料を補給しに戻る手間が省けますし、何より『移動時に両手が空くので安心』と職人にも好評」と説明。東京タワーというシビアな作業環境が特殊な塗装装置の開発にもつながった。

【安全対策】

高さ数百メートルでの塗装作業が行われる東京タワーの塗り替え工事。最も気をつかわなければならないのが安全対策だ。「何かあったら即人命にかかわりますし、シンボリックな建物に傷をつけることにもなります。事故だけは絶対に防がなければなりません」と厳しい表情を見せる。

高所作業で懸念されることの1つは風。基本的には風速10m以上だとその日の作業は中止。自然には逆らえない。

また、高所作業では主流になってきた2丁掛け安全帯の正しい使い方も徹底。「(フックの)掛け替えが多くなる現場なので、どちらか一方のフックが必ず掛かっている状態でなければなりません。これを守れなければ一発退場となり、その工期中は東京タワーに上れません」と厳格なルールが設けられている。このルールの徹底で東京タワーに従事する職人の命を守っている。

そして、安全対策の中でも特に注意を払っているのが職人の健康管理だ。「有機溶剤を扱っているため半年に一度の健康診断はもちろんですが、その日の作業に入る前に毎日血圧測定を実施、数値が規定を超えた人はその日は帰らせます」と職人一人ひとりの健康状態をチェックする体制が敷かれる。

平成9年、それまでの長い歴史の中でただ1度だけ起こってしまった墜落事故の教訓から、作業前の血圧測定の制度を設けた。「23年前の事故では、作業前に本人が『ちょっと体調が悪い』といいながら現場に上り、残念なことが起きてしまいました。以来、職人の健康管理に常日頃から目を配っています」と安全対策に気を抜くことはない。

現役も予備軍も「タワーを塗りたい!」

現在、同社の仕事には協力会社も含めて300人ほどの塗装職人が従事している。そのほとんどに共通しているのが「東京タワーを塗りたい」との思い。

日本中の誰もが知り、多くの人の目に触れ、眺められる東京タワー。そのシンボリックな建物に自分の仕事を刻むことの誇りや遣り甲斐は職人の心を震わせる。

ただし、全員が携われるわけではない。「基本的には前回やった人たちに任せますが、高齢で抜ける人の補充などで毎回若手も抜擢されます。その選抜は親方(工事部長)に一任しており、気力、体力、そして技量が充実し親方の眼に適った人だけが選抜されます。皆そこを目指して研鑽に励むので、東京タワーは人材育成の良い指標にもなっていますね」と副次的な効果を実感、会社に正の回転をもたらしている。

そして、このモチベーションは現役の職人だけではない。「当社には毎年高校生(新卒者)が数名、職人として入社してくるのですが、彼らが異口同音に口にするのも『いつか東京タワーを塗りたい』という志望動機」と平岩社長。昭和のシンボリックな建物が平成生まれの若い人まで魅了、東京タワーが持つ求心力を物語るエピソードだ。

ちなみに、同社は「東京都中小企業技能人材育成大賞知事賞」で平成27年度の優秀賞を受賞。インターンシップの継続的な受け入れや入社後の塗装技術専門校への派遣、技能検定を含めた周辺資格取得の積極支援、業務分野から一般教養に及ぶ研修・勉強会の充実など、技能者の育成と技能承継で成果を挙げている企業として表彰された。

最後に平岩社長は東京タワーの塗り替えという仕事について、「スカイツリーもできましたが、東京タワーはまた違った意味で多くの人の心に宿っているシンボルであることは間違いありません。それを我々の技術力で守っていることは誇りですし、これからも守っていくために更に技術力を磨かなければならないとの認識は社員全員が共有しています。東京タワーも含め、社会資本であるインフラを守っていくのが我々の仕事。社会から必要とされ、明確な目標にもなるとてもやりがいのある仕事です」と明快に語った。



60年を過ぎてなお魅力を放つ東京タワー
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東京タワーの塗装はとてもやりがいのある仕事と平岩社長
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塔体の大外、垂直の鉄骨はパイプ1本の上で作業。背負い式タンクが安全性を高める
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「最後は安全帯が命を守る」(平岩社長)
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街が眠っている夜間に黙々と進められる塗装作業
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