塗装技能で歴史的建造物を守る

日本には寺社仏閣に限らず歴史的建造物が数多く存在し、今も世界遺産や重要文化財としてその形を残している。そうした歴史的建造物の維持保全を下支えするのが塗装の存在。木暮塗装の木暮実会長は、2月7日に開催した「2021年度建築塗料・塗装セミナー」で自社が請けた富岡製糸場・西置繭所の塗装保全工事について語った。旧塗膜の廃棄方法を探るための成分分析をはじめ、剥離から塗装に至る全工程で経験と技能が求められる現状を浮き彫りにした。


富岡製糸場は日本で初めての本格的な器械製糸工場として1872年に設立。当時、生糸の原料である良質な繭を確保しやすかったこと、生産に必要な土地や水が確保できることを理由に群馬県富岡市に工場を建設した。

最新のフランスの蒸気機関や繰糸器などで糸が生産され、当時としては世界最大級の規模を誇った。日本の近代化のみならず、絹産業の技術革新や国際交流などにも大きく貢献し、富岡製糸場の繰糸所、西置繭所、東置繭所は、2014年に群馬県初となる世界遺産に登録された。

今回、この建造物の塗装保全工事の依頼を受けたのが群馬県高崎市の木暮塗装。取締役会長の木暮実氏はデコラティブペイントの草分け的存在で、塗装技法だけでなく、発泡スチロールを使った壁材や石柱など立体造形物を製作する独自の技術を確立。日本塗装工業会の技能委員会副委員長や建築塗装技能競技大会の審査委員長を務めた他、平成20年には卓越した技能者として厚生労働大臣表彰を受章した現代の名工の1人として知られている。

木暮氏が工事を担当したのは西置繭所。かやぶき屋根の建物で長さ約104mの2階建て、繭を保管する倉庫として使用されていた建屋で、南面と東面にベランダが設けられるなど、ヨーロッパ様式が取り入れられた建物だ。 

「2階の扉は鉄できており、中は真っ暗。当時の工員は寒かったのか、風を防ぐために目地が新聞紙で覆われていた」(小暮氏)と当時の様子に思いをはせる。

木暮氏が工事に着手する上で、まず行ったのが既存塗膜の成分分析。「100年以上前に塗られているため、塗膜の廃棄の仕方もきちんと調査しなければならない」とし、機械式精密研磨による断面加工、エネルギー分散X線マイクロアナライザによる元素分析、フーリエ変換赤外顕微分光装置による赤外分光分析などを行った。

分析結果では、一部樹脂が劣化で飛ぶなど分析が不可能な部分があったものの、9層の塗膜からできていることが判明。そのほとんどが酸化亜鉛などの亜鉛化合物から構成された塗料と推測できた。ただ、鉛などが混入していたことから労働基準監督署に相談した上で塗膜廃棄の方法を決めた。

すべて手作業で剥離

工事はまず既存塗膜を剥がす作業から始まった。ベランダの手すりや梁など、スクレーパーやケレン棒などを使用しすべて手作業で行った。専用の作業台も自作するなど、作業効率を上げるための工夫を凝らした。

電動工具を使用しない理由は、素地が木材で火事が起こる可能性があったため。限られた場所のみ刃先で研磨した。

「部材を現場で外し手で削ることが、塗膜だけを剥がしかつ最も木材を傷めない方法。さまざまな工具を使ったが、特にスポンジペーパーが木を荒らさずにきれいにサンディングでき非常に役に立った」と話す。

剥離作業の際は、塗膜片が拡散しないよう養生シートで覆い、中でもレンガや建具に近い縁の根太掛(根太の端を支える横木)の剥離には、養生テープやマスカーを使い、傷や破損に細心の注意を払った。「最初は世界遺産に関わる仕事ということで従業員のモチベーションも上がっていたが、途中で5人が仕事を辞めた」と過酷な作業だったことがうかがえる。

更に工事の様子は観光客が外側から見学できるようになっていたため、身だしなみや清掃にも配慮しながらの作業となった。

塗装工事では、木部や鉄部、建物内部など約1,700㎡を1年3カ月かけて施工した。木部塗装の下塗りには、石油化学溶剤を使わない昔ながらの植物油塗料であるプリマ油を使用し、更に脂分を追加した。木暮氏は「100年以上経過した木材は道管がスカスカ。道管を埋めるため、流動性の高いオイルを塗って固めた上で、下塗りにも5%ほどプリマ油を入れ、上塗りに合成樹脂調合ペイントで耐候性を持たせた。塗装前に50枚ほど見本をつくり、最適な仕様を選んだ」と塗料選定にも長年培ってきた経験や知恵が生かされている。

その他、亜鉛メッキ面は変性エポキシプライマーを下塗りに使用し、合成樹脂調合ペイントを上塗りに採用。鉄部の塗装にはクロムフリーの錆止めを使用し、上塗りには高耐候性塗料を仕様に組み込んだ。塗装では通常使用している刷毛に加え、寸胴刷毛や目地刷毛、筋違い刷毛を使うなど、当時と同じ仕上がりが得られるよう工夫した。

工事を終えて木暮氏は「歴史的に価値のある建造物に関わることができ、事故がなく終えられて非常に良かった。通常の塗り替え工事と同様に、一番大事なのは下地だと改めて実感した。被塗物の状態をよく見て最適な仕様を選ぶことが、建物を長く持たせる重要な要素」と締めくくった。



HOME建築物 / インフラ塗装技能で歴史的建造物を守る

ページの先頭へもどる