1977年に、日本で初めて「インテリアコーディネーター」のキャリアを提唱し、その第一人者として日本のインテリア業界をリードしてきた町田ひろ子氏(写真)。インテリアをどのようにコーディネートすれば心地よい空間になるか。常に住み手側の視点に立ったコーディネートを実践し、暮らしの質の向上に貢献してきた。塗料業界の課題でもある内装シーンでの塗料・塗装の普及と可能性について、インテリアのスペシャリストに話を聞いた。
――塗料業界では、住宅の内装市場に、いかに塗料を広めていくかが課題になっています。それについての考えを聞かせてください。
「最初から厳しいことを言うようで気が引けますが、難しいでしょうね。日本の住宅の内装仕上げは壁紙(ビニールクロス)が標準になっています。そこに割り込んでいくのは並大抵のことではありません」
――やはりハードルが高いと。
「ええ。内装仕上げに関しては、壁紙の見本帳を用いてエンドユーザー(施主)にご提案し、仕様を決めるのが住まいづくりに関わる人たちの標準のスタイルになっています。壁紙の業界が、そのためのインフラを早い段階から整えてきたことが背景にあります」
――インフラの整備ですか。
「ご存知のように、サンゲツさんという壁装業界のガリバー企業が、大量の見本帳をつくって設計やハウスメーカー、工務店、インテリアコーディネーターなど住まいづくりに関わる人たちに無償で配り、行き渡らせると同時に、ショールームを配備してエンドユーザーとの接点も築きました。住宅の内装仕上げを壁紙にするためのインフラを、膨大なコストをかけて整えてきたということです。他の壁装材の会社も追随しましたから、住宅の内装=壁紙との構図が決定的になりました。そうしたインフラが塗料業界にはないので、ほとんどのエンドユーザーは塗料のことを知る術がありません。ですから、住宅の内装シーンに広がっていくのはやはり難しいと思います」
――エンドユーザーである生活者とのインターフェースが重要ということですね。
「塗料業界にもカラーワークスさんのように素敵なショールームを構えて勝負をかけている会社はありますが、私の知る限り、塗料メーカーさんでショールームを構えている会社は見当たりません。また、見本帳にしても日塗工の標準色見本帳があるくらいで、メーカー独自の、しかも壁紙のようにエンドユーザーに見てもらえるような色見本帳はないですよね。ですから私たちは塗料の情報をお伝えできないし、伝わらないから施主の選択肢にも上りません。冷静に見て、それが実態だと思います」
色でウェルビーイングに寄り添う
――塗料にとって、住宅の内装は門戸が堅そうですね。
「新築に関しては住まいづくりのプロがスペックを決めますので、壁紙がスタンダードな構図は変わらないでしょう。ただ、リフォームやリノベーションに関しては、エンドユーザーの考えや趣向が介在する余地が新築よりはあるので、そこでの可能性は高いとも言えます。情報化社会の中でエンドユーザーの知識も豊富になり、価値観も多様化しているので、塗料を選択する人も出てくるでしょう。ただ、そこで大事なのは、『色』に価値や魅力を持たせることです。塗料業界さんを見ていると機能や性能を磨くことには一生懸命だけど、色には関心がないように映ります。そこが気になりますね」
――「色」を強みにすると。
「ええ。エンドユーザーが塗料から受ける印象は『色』です。そして、それを微妙に調整できる色の自在性に塗料の強みがあります。パーソナルな色のニーズに応えられるといった意味で、塗料の右に出るものはないでしょう。居心地のいい色に囲まれた空間は、人を幸せな気分にしてくれます。色という最大の強みを生かし、その魅力を世の中に広く伝えることができれば、暮らしのシーンである室内にもっと入り込んでいけるのではないでしょうか」
――そこでのヒントになるような考え方はあるでしょうか。
「私は、社会がいま求めているものは『ウェルビーイング』だと思います。世情が不安定で先行きが不透明な時代だからこそ、心身ともに満たされより良い社会の状態を求める。言い換えれば幸福の希求といったことでしょうか。そしてそこでは、『色』が大きな役割を担います。暮らしの空間、学校や職場など活動の空間において幸福感をもたらし、ポジティブな力を与える色の存在。ウェルビーイングをキーワードに色の価値や魅力をデザインすれば、チャンスが広がると思います。社会をより良くしていくために、塗料業界さんに期待したいところですね」
塗料の価値を再認識し、社会に発信
――ウェルビーイングと塗料の色といった観点で、ご紹介いただける事例はありますか。
「私が総合デザインを監修した特別養護老人ホーム「IGLナーシングホーム信愛の郷(広島市)」の事例があります。ここでは『インテリアは医療の一環』という考えから"神経美学"という概念を取り入れ、クロード・モネを主とする印象派のデジタルプリントの絵画を展示するアートギャラリーを設けました。そして、それらの絵画の背景となる壁の色の部分で、塗料が重要な役割を担いました」
――どういうことでしょう。
「コロナ禍を経たこともあり、施設の内装は日本ペイントさんの抗菌・抗ウイルス塗料を採用したのですが、標準色が少ないことから絵画の背景となる壁の色の調色をお願いしました。機能性塗料なので色出しが難しいらしく、何度も試した末にそれぞれの絵画と調和する色をつくっていただきました。こうした対応は、既製品の壁紙には不可能です。色をつくり出せる塗料だからこそ絵画が引き立ち、神経美学の効果をより引き出せたとも言えます」
――「神経美学」とはどういうことでしょうか。興味深いです。
「簡単に言うと、人が美しいものを見て『美しい』と感じると脳の血流量が増え、うつ病や認知症の緩和につながると期待されている認知神経学の一分野です。2014年にロンドン大学で発表され、数々のエビデンスも立証されています。私は、高齢者施設のデザイン監修においてこの理論を取り入れ、名作の絵画を通じてアートとインテリアのシナジー効果を追求しています。もちろん『美』を表現するものはアートだけに限らず、美しいと感じる空間全体の佇まいにもあります。そして、空間の色彩の調和においてどこまでも色にこだわれる塗料には、インテリアエレメントとしての塗料ならではの価値があります」
――やはり色彩が大きなファクターですね。
「高齢社会における色の役割、そして何かと疲労がたまっているストレス社会において、ウェルビーイングに果たせる色の役割は大きいでしょう。好きな色をつくりだせる自由度、色の組み合わせによる美的効果、そして色によるストレス緩和やヒーリング効果など人々や社会に共感してもらえる潜在的な可能性はいくつもあります。塗料業界の人たちがそれを自認し、市場に対して可視化していくことができれば、その位置づけは大きく変わるでしょう。人々が塗料に期待しているのは、社会を刷新できる『色感性』の発信です」
――ありがとうございました。
町田ひろ子氏:武蔵野美術大学を卒業後、海外で家具デザインや環境デザインを研究、実践。'77年に帰国し、日本で初めてインテリアコーディネーターのキャリアを提唱する。'78年にインテリアコーディネーターの養成機関「町田ひろ子アカデミー」を設立し、多くのインテリアコーディネーターを輩出。国内外の多くの建物や施設のインテリアコーディネートやデザイン監修を手掛け、国や省庁の審議会委員など公的職務も多数歴任。


